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2008年09月30日

口頭日記3

9.23
昨日の授業中、先生がこう言った。
「私はある時、ずっと中国の漢字を見ているうちに、変な感じがします。何の漢字なのか、認識できないようになりました。」
私もそう思いました。中国の漢字は、日本の仮名と比べて、もっと複雑です。ひとつの漢字はいくつの部分で構成します。漢字はもともと象形字ですが、あとたくさんが簡略化にしました。現在の漢字は字面から意味が分らないわけです。各部分は関係がないこともあります。だから、ある漢字を見るときがちょっと長くなると、変な図になりました。
私は人生もそうだと思います。人生も漢字のように複雑で、いろいろな違う部分で作ります。もし深く考えすぎればするほど、変な感じがします。私の結論は、万事にこだわないでください。中国の哲学の中で、「中庸之道」という理論があります。鄭板橋という中国文学者もそういう名言があります――「难得糊涂」(na de hu tu)といいます。意味は「ある時はぼんやりすることも必要がある」です。それは楽しく人生を送る秘密です。

9.24
もし知らない人があたなに金を借りれば、あなたは貸してあげますか。
先週、私が地下鉄で学校へ来たとき、地下鉄の中に欧米人の男の人は私の方に来ました。一枚の紙切れを見せました。その紙の上に、「私はさっき泥棒に財布を盗まれてしまったんです。20元ぐらいのお金を貸していただけませんか。」と書いてあったんです。私はあの外国人を眺めました。彼は三十から四十歳ぐらい、鞄を背負っています。悪い人ではなさそうですが、私はちょっと迷って決められないんです。もし私が財布を取り出して、彼は私の財布を取ればどうしようかな。しかも、後は彼はどのように金を返してもいいですか。そういうふうな多くの問題は私の頭でいっぱいです。あの外国人は私の顔を見て、がっかりして去りました。それから彼がほかの人々にあの紙を見せて、ほかの人も私のように迷っています。あの外国人はついに地下鉄を降りって、どこかへ行きました。
あとは私はいろいろなことを考えました。なぜ私はあの外国人を信じられないんですか。もし、私が小さい子供であれば、たぶん彼にお金を貸すでしょう。私は新聞とか、テレビとか、悪いことを見たことが多過ぎるから、他人に不審になるでしょう。乞食のことも同じです。今地下鉄の中で、乞食の姿がいつも見えます。彼らはボロボロの衣服を着て、ぱっとあなたの前に跪いて、汚い茶碗を揺らして、「お願いします、お願いします」と口で繰り返します。乗客の気持ちがすぐ悪くなります。彼らの中で、本当にお金がない人はいますが、人を騙している人もいます。人々は思いやりの気持ちから、彼らに金をやりましたが、実際は彼らはこの乞食のことを一つの仕事としてしています。
だから、人々の間に不審になります。だますことがあるこそ、単純なことは少なくなるんです。
あの外国人のことを思い出した。彼は上海人に失望したでしょう。彼がそれから誰かからお金をもらったか、と心配していて、お金を貸さなかったことを悔やんでいます。
  


Posted by teisan at 23:21Comments(2)暮らし