2008年09月05日
2008年9月5日 一週間の「流水帳」
中国語で、「流水帳」(発音はリュウシュイジャンに近い)という面白い言葉がある。ただ事柄が羅列されているだけの記述という意味だ。私はいつもこういう「流水帳」を書く。今日の日記は「流水帳」なんだ。
新学期の第一週は終わった。いろいろな面白いことが言いたい。
今学期は通訳と「視聴説」(見ることと聞くことと話すこと)の授業がある。陸リュウテイ先生が教えるのだ。文学授業もある。高ネイ先生が教えるのだ。どちらも国内有名な教授なのだ。幸い!!
「視聴説」の授業は日本のニュースとかビデオを見せる。学生が大意を理解したら、先生は具体の単語を紹介してくれる。それから、もう一度ビデオを見せる。そのうち、一句ずつ自分通訳してみる。
文学授業の全称は「日本近現代文学作品選読」という。つまり、日本の有名な文学作品を紹介して、味わわせる。最初の授業でも、もう宿題がある。川端康成の「伊豆の踊子」という小説を読んで、1500字に要約することだ。二週間の後に出す。私はもう図書館から中国語版のを借りた。名前は「伊豆的舞女」。対照して読んだら、難しくないでしょう。
高先生は文学が好きだと言った。彼は日中翻訳の外に、中国語の小説やエッセーも発表した。高先生は「クラスで詩が書ける人がありますか」と聞いた。施ゲンホウさんが立った。「僕は詩を書くことが好きだ」と言った。高先生は「そうですか。すごいですね。私は詩人が羨ましいですね。自分が書けないから。詩は瞬間をとらえることです。私にとって苦手です」と言った。また、「クラスで文章を書くのが好きな人がありますか」と聞いた。私が立った。先生は「どんな文章が書きますか」と聞いた。「小説とか、エッセイとか、神話とか、童話とか、いろいろな文章を書きます。」「具体的に、どんなストーリーのか、ちょっと紹介してください。」「すみません。大学に入ったら、なかなか小説を書かないんです。エッセーだけ書きます。」「いつから文章を書くことが好きになったんですか。」「高校、いや、中学時代から、小説を書き始めます。」「すごいね。後の授業はテイさんの文章を皆さんに紹介したらどうですか。」と言って笑った。
恥ずかしいね。中国語の文章だけだ。作家になるのが私のいつもの夢だ。でも、私の文章がいいと思う人はたしかにいるんですか。
新学期の第一週は終わった。いろいろな面白いことが言いたい。
今学期は通訳と「視聴説」(見ることと聞くことと話すこと)の授業がある。陸リュウテイ先生が教えるのだ。文学授業もある。高ネイ先生が教えるのだ。どちらも国内有名な教授なのだ。幸い!!
「視聴説」の授業は日本のニュースとかビデオを見せる。学生が大意を理解したら、先生は具体の単語を紹介してくれる。それから、もう一度ビデオを見せる。そのうち、一句ずつ自分通訳してみる。
文学授業の全称は「日本近現代文学作品選読」という。つまり、日本の有名な文学作品を紹介して、味わわせる。最初の授業でも、もう宿題がある。川端康成の「伊豆の踊子」という小説を読んで、1500字に要約することだ。二週間の後に出す。私はもう図書館から中国語版のを借りた。名前は「伊豆的舞女」。対照して読んだら、難しくないでしょう。
高先生は文学が好きだと言った。彼は日中翻訳の外に、中国語の小説やエッセーも発表した。高先生は「クラスで詩が書ける人がありますか」と聞いた。施ゲンホウさんが立った。「僕は詩を書くことが好きだ」と言った。高先生は「そうですか。すごいですね。私は詩人が羨ましいですね。自分が書けないから。詩は瞬間をとらえることです。私にとって苦手です」と言った。また、「クラスで文章を書くのが好きな人がありますか」と聞いた。私が立った。先生は「どんな文章が書きますか」と聞いた。「小説とか、エッセイとか、神話とか、童話とか、いろいろな文章を書きます。」「具体的に、どんなストーリーのか、ちょっと紹介してください。」「すみません。大学に入ったら、なかなか小説を書かないんです。エッセーだけ書きます。」「いつから文章を書くことが好きになったんですか。」「高校、いや、中学時代から、小説を書き始めます。」「すごいね。後の授業はテイさんの文章を皆さんに紹介したらどうですか。」と言って笑った。
恥ずかしいね。中国語の文章だけだ。作家になるのが私のいつもの夢だ。でも、私の文章がいいと思う人はたしかにいるんですか。
Posted by teisan at 23:11│Comments(7)
│暮らし
この記事へのコメント
日本の「雑記帳」みたいなものかしら?
そっか~ テイさんは作家志望なんだ! どうりで・・・・・。
テイさんの文は、中国人が日本語を学んでいるから、というだけで
注目したのではなかったんだな。
僕の中国の先生は「陸象山」ですが、
高ネイ先生の問いには僕は2回立たなくてはいけません。
そっか~ テイさんは作家志望なんだ! どうりで・・・・・。
テイさんの文は、中国人が日本語を学んでいるから、というだけで
注目したのではなかったんだな。
僕の中国の先生は「陸象山」ですが、
高ネイ先生の問いには僕は2回立たなくてはいけません。
Posted by 都路 at 2008年09月06日 00:27
陸象山は南宋・江西省の儒学者。 朱子と同時代に生き、その論敵として知られる。
象山の思想は「心即理」、心を分析してその中に性・情や天理・人欲を弁別するのではなく、
心そのものが「理」であると肯定した、象山の思想を心学と称する所以であり、
心=理とする思想は、心以外のものに束縛されない事を意味する。
僕が18歳の時に初めて触れた思想で、以来ずっとこれが僕の基本です。
象山の思想は「心即理」、心を分析してその中に性・情や天理・人欲を弁別するのではなく、
心そのものが「理」であると肯定した、象山の思想を心学と称する所以であり、
心=理とする思想は、心以外のものに束縛されない事を意味する。
僕が18歳の時に初めて触れた思想で、以来ずっとこれが僕の基本です。
Posted by 都路 at 2008年09月06日 00:38
「テイさんの文は、中国人が日本語を学んでいるから、というだけで
注目したのではなかったんだな。」
——この句はどういう意味でしょうか、わからないなあ。「中国人の私が日本語を学んでいるだけの原因で、注目できない」という意味でしょうか。
都路さんは詩も書くんですか。すごいね。
「陸象山」という人は私が知らないね。中国人として、恥ずかしいんです。でも、ちょっと調べて、「朱熹」(しゅき、あるいは朱子)は中国でもっと有名です。小学校の時、もう朱子の文章を暗誦しなきゃならないんです。陸さんはちょっと・・・
都路さんははたして中国のことに詳しいですね。感心します。
注目したのではなかったんだな。」
——この句はどういう意味でしょうか、わからないなあ。「中国人の私が日本語を学んでいるだけの原因で、注目できない」という意味でしょうか。
都路さんは詩も書くんですか。すごいね。
「陸象山」という人は私が知らないね。中国人として、恥ずかしいんです。でも、ちょっと調べて、「朱熹」(しゅき、あるいは朱子)は中国でもっと有名です。小学校の時、もう朱子の文章を暗誦しなきゃならないんです。陸さんはちょっと・・・
都路さんははたして中国のことに詳しいですね。感心します。
Posted by teisan
at 2008年09月06日 22:56

「テイさんの文は、中国人が日本語を学んでいるから、というだけで
注目したのではなかったんだな。」
テイさんが考えた「・・・・原因で、注目できない」という否定形ではなく、
「・・・・なかったんだな」という語句を使いましたが、
全体の流れから言えば肯定形なんですよ。
うまく説明できない、自分でも難しい、いま頭が回らない・・・・
いま別の物を書きながらなので、そっちに頭が行っているからでしょう。
そのうち、うまくまとめて日本語の勉強としてちゃんと伝えます。
じつは僕は書くのが仕事です、世間では作家とか。
注目したのではなかったんだな。」
テイさんが考えた「・・・・原因で、注目できない」という否定形ではなく、
「・・・・なかったんだな」という語句を使いましたが、
全体の流れから言えば肯定形なんですよ。
うまく説明できない、自分でも難しい、いま頭が回らない・・・・
いま別の物を書きながらなので、そっちに頭が行っているからでしょう。
そのうち、うまくまとめて日本語の勉強としてちゃんと伝えます。
じつは僕は書くのが仕事です、世間では作家とか。
Posted by 都路 at 2008年09月07日 00:46
陸象山はたしか朱子がライバルだったような記憶が・・・・ !?
お互いを認めるいい意味でのライバル関係で交友もあったはずです。
お互いを認めるいい意味でのライバル関係で交友もあったはずです。
Posted by 都路 at 2008年09月07日 00:49
「テイさんの文は、中国人が日本語を学んでいるから、というだけで
注目したのではなかったんだな。」について
「日本語を学ぶ若い中国人」という理由だけではなく、
まだ勉強途上の未完の文章だけど何となく「文章に可能性(将来的に作家として)
=センスを感じた」という理由もあるので、注目したんだな、という事です。
これでわかるかなぁ?
例①、「この月餅を買ったのは美味しそうに見えた」というだけで買ったんではなかった。
・・・・・つまり販売している人が一所懸命にセールスしていた熱意に押されて、という理由もある。
例②、この女を彼女にしたのは美人というだけでなく、
性格も良かったからです。
ちなみに、「注目したんではなかった」というのは「なかった」と見た目は否定形だけど
「注目できない」という否定形ではなく副詞の使い方で否定が、、、、、、
あぁあぁ、やっぱり難しい、orz
注目したのではなかったんだな。」について
「日本語を学ぶ若い中国人」という理由だけではなく、
まだ勉強途上の未完の文章だけど何となく「文章に可能性(将来的に作家として)
=センスを感じた」という理由もあるので、注目したんだな、という事です。
これでわかるかなぁ?
例①、「この月餅を買ったのは美味しそうに見えた」というだけで買ったんではなかった。
・・・・・つまり販売している人が一所懸命にセールスしていた熱意に押されて、という理由もある。
例②、この女を彼女にしたのは美人というだけでなく、
性格も良かったからです。
ちなみに、「注目したんではなかった」というのは「なかった」と見た目は否定形だけど
「注目できない」という否定形ではなく副詞の使い方で否定が、、、、、、
あぁあぁ、やっぱり難しい、orz
Posted by 都路 at 2008年09月07日 09:10
ありがとうございます。
メールの返事をしましたよ。見られませんか。
長い説明、お手数をかけて、すみません。辞書を調べて一生懸命読んでいます。
否定形と見えますが、肯定の意味を表すのが理解しにくいですね。日本語は本当に難しいですね。でも、「しか~ない」とか、「めったに~ない」とか、そういう使い方と同じぐらいでしょ?
ご説明の通り、都路さんは「私は希望がある」と言いたいですか。そうなれば、本当にうれしい!!
すぐ晩御飯の時間です。このようなコメントをするのは時間がかかりますよ。でも、本当にいい練習です。ありがとう。
メールの返事をしましたよ。見られませんか。
長い説明、お手数をかけて、すみません。辞書を調べて一生懸命読んでいます。
否定形と見えますが、肯定の意味を表すのが理解しにくいですね。日本語は本当に難しいですね。でも、「しか~ない」とか、「めったに~ない」とか、そういう使い方と同じぐらいでしょ?
ご説明の通り、都路さんは「私は希望がある」と言いたいですか。そうなれば、本当にうれしい!!
すぐ晩御飯の時間です。このようなコメントをするのは時間がかかりますよ。でも、本当にいい練習です。ありがとう。
Posted by teisan at 2008年09月08日 17:07